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明治大学将棋研究会OB列伝

崎浦正隆 1987年入学
 入会時は級位者だったが、人十倍の努力でレギュラーを獲得した。卒業後も努力のほうは相変わらずで、色々な所で腕を磨いている。愛社精神が強く、社団戦では皆の度重なる説得を頑なに拒否して会社のチームで出ている。しかし、「名前だけでも明治で参加してほしい」と多くの人たちから要望があった。そのため社団戦の第二チームを「明治SAKIURA」と名付ける事になった。

三輪哲也 1987年入学
 元幹事長。独特の言動で存在感は抜群だった。部内リーグで必勝形になった時に言った「今から俺が寄せの手本を見せてやる」は今でもたまに語り種になる。リーグ戦ではB1の下で出て2勝0敗、勝率10割であった。
 現在、この代で唯一の社団戦明治チーム出場者として、かつてのライバルの名を冠した「明治SAKIURA」の主力メンバーの一人として活躍している。
遠藤俊輔 1987年入学
 元会計。在学中はレギュラーを取れなかったが、就職した後は社内の大会などで好成績を挙げているらしい。

三原興洋 1987年入学
 温厚な性格だったが、将棋は非情なまでの受けつぶしタイプだった。かつてはたまに社団戦にも来ていただいた。

土居哲也 1988年入学
 1年の春からレギュラーを獲得したが、団体・個人戦とも目立った成績を残せなかったのは残念。卒業後は会社に将棋部を設立し、山田康平氏(京大OB・詰将棋作家)らと職団戦に出ている。

名取克彦 1988年入学
 独特の風貌と将棋理論には強烈な存在感があった。この代で唯一の個人戦64経験者でもある。将棋ジャーナル主催の社会人学生対抗団体戦では、彼らしい将棋で快勝していた。また、児童文学研究会と兼部し、特撮に造詣が深いなど、趣味の面でも印象は強かった。
2012年7月逝去。

加藤耕一 1988年入学
 生田で部室を共有している卓球愛好会から転部してきたという変わった経歴を持つ。在学中は学業等が忙しく、あまり活動に参加できなかった。大会出場ないが、OB飲み会には毎年参加している。

佐々木孝 1988年入学
 3年の冬に全国オール学生個人戦に出場したのがきっかけでスカウトされたという、変わった経歴の持ち主。在籍期間は短かったが、卒業後も各活動に参加した。

大野隆 1988年入学
 入会当初はどうしようもない級位者で、最初の合宿で順当に地獄名人となった。しかし、その合宿での雑用処理を評価(?)され、幹事長になった。その雑用係ぶりはいまだに抜けず、現在でも明大将研OB会および関東大学将棋OB戦で雑用係をやっている。

石井秀樹 1989年入学
 入学式の前日に道場でスカウトされて入会した。一年春から主力として活躍したが、目立った成績を残せなかったのは残念。また、毒舌が得意で、こちらのほうでは歴史にのこる名言を多数残している。

小暮有希子(旧姓・篠塚) 1989年入学・関東学生女流名人・全国学生女流大会2位
 10数年ぶりに入会した女性会員。入会時は初心者だったが、順調に上達して有段者となり、関東女流棋界を代表する存在になった。卒業後、学生名人の小暮氏(東大OB)と結婚した。

岡田正治 1989年入学
 高校選手権の個人戦代表の経験があり、早い時期にレギュラーも獲得し、ポイントゲッターとして活躍した。

田川弘樹 1989年入学
 生田将棋愛好会のまとめ役をやりながら、メインの活動にも積極的に参加していた。仕事の都合で小田原にいるため、ここ数年社団戦などに出れないのは残念。

山口淳市 1989年入学・王座戦出場など
 体育会から転部したという変わった経歴を持つ。振り飛車穴熊からの豪快な攻めで王座戦出場に貢献した。また、ヨガを習得し、教室で働いた事もある。社団戦でも昇級のMVPになるなど活躍している。

高橋一雄 1990年入学
 部内のまとめ役としての評価が高く、会長・幹事長として優れた手腕を発揮した。将棋も年毎に安定感が増し、四年の春にはB1で全勝した。社団戦でも一軍のレギュラーとして活躍している。

宮原武文 1990年入学
 入学早々「魔神」と呼ばれ、その語句は将棋世界にまで載ってしまった。将棋のほうでもその魔力をいかんなく発揮し、この代で唯一の64入りを果たしている。

谷島俊則 1990年入学
 入学当時の学内誌に出たクラブ紹介文「将棋は駒の先端に毒塗って相手を殺す暗殺術だ!」にあこがれて入部して、後で騙された事にショックを受けたらしい(本人談)
 会誌「雨の雁木坂」に他大の人をネタにした漫画や部内の人間関係をパロった小説を書いたりしていた。
 現在バンコクのタイ人女性と遠距離恋愛中だが、相手にだんなさんがいるかどうかでひどく悩んでるらしい(本人談)。

原口義章 1990年入学
 中途入会なうえに、将棋で目立った活躍をしたわけでもないが、その陽気なキャラクターで、合宿の夜の部の主役となった。現在でも、仕事の合間を見ては合宿に参加して麻雀を打っている。

松原博明 1990年入学
 明大中野時代に奨励会に入り、そのまま大学に進学した。たまに合宿に来ては、強さを見せつけていた。ただ、退会後は個人・団体とも不本意な成績に終わってしまったのは残念。

橋本 豊 1990年入学
 埼玉県北部から生田まで自宅通学していた。入学時に古新戦に出場し、チームの古新戦準優勝に貢献したが、明大将研での活動はその後は行わず、自然退会みたいな形になっていた。
 しかし、卒業後も将棋ならび詰将棋創作で活躍。詰めパラの表紙にもなった。そして2005年よりOB会の活動に参加。安定した実力を発揮している。

伝田芳裕 1991年入学・アマ竜王戦長野県代表など

 高校時代に高校竜王戦で2位、さらにアマ竜王戦と朝日アマで代表になり、入学時にはタイトルも嘱望された。結局は学生名人戦出場のみに終わったが、94年の王座戦2位をはじめ、明治のエースの一人として活躍した。また、関東大学副幹事長も務めた。

斉藤裕之 1991年入学・王座戦出場など
 別名・斉藤A。安定した成績で王座戦出場に貢献し、その王座戦では8勝1敗の成績を挙げ、全国2位の原動力となった。あらゆる戦法を指しこなす。また、幹事長・会長などを務めた。開設した掲示板は、前後の世代の間で重用されていた。

柘植紀彦 1991年入学・王座戦出場・関東個人戦ベスト8など
 洗練された振り飛車で、個人・団体とも活躍した。「かざぐるまにあ」「柘植システム」など独自の研究も深い。外見にあわず、ギャグが得意だったりし、会誌「雨の雁木坂」には名文を多数発表している。

竹部健一郎 1991年入学・王座戦出場など
 独自の将棋理論による激しい将棋と、その将棋からは想像がつかないようなのんびりした性格をあわせ持った。同期三人の影に隠れがちだったが、レギュラーとして活躍し、王座戦出場に貢献した。卒業後の出席率はこの代第1位で、社団戦では主に明治SAKIURAのエースとして活躍している。

斎藤征巳 1991年入学
 別名斎藤B。AとCの間に隠れて目立たないが、64経験があり、A級でもそこそこ勝つなど、実力はあった。五年目でレギュラーになったが、これは同期が強すぎたせいとも言えよう。

田畑正幸 1991年入学
 北海道出身で、小学生名人になる直前の清水上に勝った実績がある。ギターとボケが得意な好青年。将棋は横歩取り系を好む。

山本良朗 1992年入学
 大阪府出身というだけで、「浪花の真剣師」と呼ばれていた。その鋭い関西風毒舌は同期はもちろん、先輩もボロクソだった。将棋もそこそこに安定しており、レギュラーにもなったが、最近、あまりみかけない。

佐藤喜一郎 1992年入学
 入学前に将棋図巧を全題解いたというおそるべき経歴の持ち主。そのため、「図巧くん」という異名を持つ。しかし、実戦ではなぜか逆転負けが多く、「台無しの終盤」と呼ばれていた。それでも着実に力をつけてレギュラーになり、引退試合では相手チームの主力を倒した。当サイトにも詰将棋解析学を寄稿してくれた。

金沢慶利 1992年入学
 独特の語り口は一度聞いたら忘れられない。将棋のほうは、初心者として入ってきたが、それなりに成長した。OBとしても活動に参加しており、99年の社団戦では、一・二軍を通して唯一の全局出場をはたした。